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高橋祐助

東京原発


「東京原発」は広瀬隆著の『東京に原発を!』を基に製作され、2004年に公開された映画です。 多くのシーンは会議室でのやり取りであり、都内のロケシーンであっても派手な仕掛けがあるわけでもないので、この映画の制作予算が限られていることは明らかです。にもかかわらず、その脚本の妙と俳優さんの味で、見事な社会派エンターテイメント映画、あるいはエンターテイメントの形をとった反原発の教育映画、風刺映画に仕上がっています。

唯エネルギー論(5)

これからの時代はなんとも不思議な状況にあります。環境は温暖化するのにエネルギーは激減する、しかもこれまで経験したことのない人口を抱えているのですから。人類の歴史の中ではなかなか珍しい事態といえましょう。環境は温暖化するのですが、人の動きはエネルギー減少時の、つまり寒冷化するときの有り様を呈すると考えられます。どういうことかと言えば、「エネルギー量の減少と、E/Pの低下」の項で挙げました、1) 人口の減少、2) 移動、3) 交易、4) 収奪、5) エネルギー消費の削減、6) エネルギーの増産が起こりうると思われます。

唯エネルギー論(4)

 現代の人類は、豊富にエネルギーが供給される時代という、未曾有の事態に暮らしています。これまでエネルギーの不足からエネルギーを奪い合うという危機を経験してきた人類は、過剰に供給し続けられるエネルギーをどう消費するかという、これまで経験のない事態に直面するようになりました。

唯エネルギー論(3)

 縄文から弥生へのイノベーションである水稲耕作とは、まさにこのエネルギー生産の転換だったといえましょう。稲作という技術革新によってエネルギー収量が増大し、加えて再度の温暖化でいっそう収量が上がりますと、再びエネルギー(つまり食料)の余剰が生じます。エネルギーの余剰はまたまた人口の増加をもたらします。人口が増加すれば、今度はそれを支えるだけの耕地を必要とするようになります。こうして人口がエネルギーを求め、エネルギーが人口を支え、増産のスパイラルが形成されます。そしてこれは、エネルギー採取の平面的拡大をもたらします。人口を背景とした耕地の拡大ですね。

唯エネルギー論(2)

 エネルギーを分子に、人口を分母にして、その比を考えてみましょう。エネルギー/人口比です。energy population ratio というと、先述のEPRと紛らわしいので、ここではE/Pと記することにします。これは一人当たりが得られるエネルギー量を表します。人一人が生存できるエネルギーを1単位とすれば、E/Pは1以上必要です。1を割り込めばその集団は人口を維持できません。人口に対しふんだんにエネルギーがあれば、E/Pは大きくなり、人口を維持するのが容易になります。人口に対しエネルギーが十分でなければ、E/Pは1に近づき、飢えに苦しみ人口維持が危機にさらされます。

唯エネルギー論(1)

「唯エネルギー論」といいますとなんだか、唯物論と相対性理論を組み合わせたみたいですね。物質はエネルギーであるから唯物論は唯エネルギー論と読み替えることができる、みたいな。こんなことすでに誰か考えているだろうなと思って検索してみますと、まさに「唯エネルギー史観」という言葉で「世界の政治経済はエネルギーを中心に動く」ということを主張しているかたがいます。早速読んでみましたが、これは非常に本質的で興味深い本だと思います。

海から見た東北地方の過去と未来 (3) ~東北の未来

 東北地方は、本州北部に位置し、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県からなります。総面積は66,890k㎡で、国土の約2割、本州の約3割の面積を占めます。これはチェコと同程度、オランダ・スイス・デンマークの約1.5倍の広さです。総人口は964万人で、これはスウェーデンとほぼ同規模。人口密度は約140人/k㎡で、全国平均343人/k㎡を比べますと少ないものですが、これはスイス(177人/k㎡)、デンマーク(125人/k㎡)と同程度です。東北6県の県内総生産の合計はおよそ33兆円(2004年度)で、東北6県を合わせても全国3位の愛知県に及びません。しかしながらこれはトルコ・オーストリア・デンマークなどのGDPを超えています。

海から見た東北地方の過去と未来 (2) ~東北の過去 後

 東北地方では守護大名が領域支配を早々と確立し、最上義光、伊達政宗、南部晴政、安東愛季、津軽為信などの戦国大名が誕生します。一方、越後には上杉輝虎(上杉謙信)が登場しました。

海から見た東北地方の過去と未来 (1) ~東北の過去 前

 私は東北人です。今回は東北地方について書いてみます。とは言ってみたものの、私、東北人とはいいながら、実は東北地方についてよく知っているわけではございませんし、歴史にも明るくないので、ほとんど「Wikipedia」の受け売りです。それに、東北といってもはたして一括りにできる均一なものなのかという議論もあろうかと思いますし、歴史の見方には立場によって様々な意見がありましょう。そこは、間違い勘違いがございましたらご指摘いただければ幸いです。東北地方は他の地域の人にとってはあまり関心がないかもしれませんが、多少なりとも興味を持たれましたらどうぞお付き合いのほどを。

逝きし世の面影 第五回

また、日本人が動物とどう付き合っているかも興味深いものだったようです。日本人にとって身近で生活する動物は、共に暮らす輩という存在だったようで、家畜家禽を食することはもちろん殺すということも、まるで家族を失うかのように受け入れがたいことだったようです。それに関連して、日本人の生死観について注目し、死を恐れないこととともに生についても逞しい様子が描かれています。

逝きし世の面影 第四回

日本を訪れた欧米人がすべからく感じたことが、日本は『子どもの楽園(オールコック)』であるということです。日本の子供はみな幸福そうで可愛らしく、日本人は子供をとてもよく可愛がるという印象を持ったようでした。欧米人は、日本を訪れるその船上からすでに日本の景色に魅せられ、日本の自然景観の美しさと、それに調和する日本の家屋の様子を、手放しで賞賛しています。

逝きし世の面影 第三回

また、日本を訪れた欧米人は、日本の生活用度の品々の多様さと、そこに凝らされた名もなき職人による趣味性に魅せられます。日本は封建的な社会だ、専制的な支配が行われているという知識をもって来日した欧米人は、一様に民衆の自由闊達さとのびのびとした生活ぶりに驚き、日本の"専制支配"の実態を知ります。

逝きし世の面影 第二回

当時日本を訪れた欧米人は、そこに暮らす人々の陽気な様子、幸福そうな様子に目を奪われています。 また、日本人の丁寧な礼儀正しさや、愛想の良い親切さに心打たれた記述も多く見られます。 彼らは日本の漁村山村の質素さを描いてはいますが、同時にそれは清潔でけっして困窮したものではないことが述べられています。

逝きし世の面影 第一回

今回、私がこの本を取り上げましたのは、この中で浮かび上がる150年前の日本の様子が、今後の日本の在り方を模索するにあたって、何らかの参考になるのでないかと考えるからです。古来、日本はさまざまな文明や思想を受け入れ、取り入れ、それを自らのものにしてきました。自ら求めたものもありましょうし、そのように仕組まれたものもありましょう。仏教、支那の諸家、近代西洋思想、アメリカングローバリズム...。しかし、何時の頃からか古来より日本を貫いてきただろう価値観が失われ、今では利己主義拝金主義がまかり通り、幅をきかせるようになってしまったようです。(私個人は、日本古来の価値観とは、この世に存在する生きとし生けるものを、同じく自然を生きる輩として畏怖敬愛し、対象の内に我と同じ情緒を見出してそれを慮り、生まれそして死んでゆく儚きものを愛おしむ心情、と考えています。)

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