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ブリヤート共和国の民族と信仰(チベット仏教)

シベリアという土地は不思議である。私自身、あの極寒のブリヤート共和国で生きる人々に初めて出会ったとき、なぜか自分の親戚に再会したような懐かしさを覚えた。もちろんロシアでもシベリアではアジア系住民の数は比較的多いので、この共和国の首都に入る前にも少し見かけはしたし、多くの中国人や朝鮮系の人も見かけた。でも彼らに対しては何の親しみも感じなかったのに、このウランウデというモンゴル国境のブリヤート共和国首都に入った瞬間、まるで昔の日本に戻ってきた錯覚を覚えたのだ。

ロシアというのは、やはり広い国なので首都モスクワなどにいる限り、一生シベリアに関わらずに暮らす人がほとんどだ。普段の情報だって、シベリアで起こる事件やニュースには画像も入らないことも多いくらい、まるで他所の国扱いである。実際、経済的な格差だけでなく、それぞれの共和国によって人口構成比における人種や民族の占める割合も相当異なっており、ほとんどロシアとは思えないようなイスラム世界も存在する。私が知る限りでは、宗教的にチベット仏教を信仰する共和国はたしか2-3あったと思うが、おそらくブリヤート共和国はその中でも位置的にモンゴル共和国に接していることもあって特別といえるだろう。

このブリヤート人という人々は、こちらが思っているよりずっと誇り高い。彼らに言わせると、チンギスハーンはモンゴル人ではなくて、ブリヤート人なのだというし、毎年ちゃんとハーンの命日参りしているチベット仏教の僧侶がいるという話もある。実際、ソ連時代の宗教迫害の時代も細々と生き永らえて、現在もなんとかウランウデには寺院も存在している。現在は活動中である。そして、ソ連時代にもダライラマ14世が2回か3回かはっきりしないが、仏教信仰のあるソ連内の地域を歴訪したようである。

ある友人の祖父は子供時代からチベット仏教の寺院で修行をして、チベット医学を究めた人物であったらしい。しかし、ソ連時代にはチベット仏教の布教を事実上禁じられて、還俗していたという。(子供たちも学校での無宗教教育のために、ほとんど家庭でもチベット仏教に触れる機会はなかったという)しかし、この人の医学療法の効力は当局にも認められて、ソ連各地を巡って患者の治療に当たったという話である。

実際、ロシア人というのは意外と迷信深く、いまだに堂々と一般雑誌の広報で「呪術であなたの夫が帰ってきます」というような宣伝をするような国柄なので、西洋医学ではないチベット医学であっても効力があれば、それなりに存在意義を認めていたということなのだろう。

ところが、ブリヤート人と親しくなると色々とさらに不思議な話があって、いまだに多くの人がシャーマンによる祈祷で病気を治したり、その他の願掛けをするなどいうことが多々あるというのだ。しかも、知人の体験した興味深い話によると、体質的にもともと「幽体離脱」しやすい人がいて、そういう人は急に激しく怒ったり、あるいは何かの拍子で魂が体から抜けていくということがあるらしい。そして一定時間内に魂が戻れなくなると、肉体的に死に至るというのだ。こういうときに、シャーマンの祈祷で助かる可能性があるという。その知人は身内を何人か「幽体離脱」が原因で亡くしたというが、このときにもしシャーマンの力を借りれば助かっていたかもしれないという。

実際、チベット仏教の信仰も存在しながら、一方でシャーマンも共栄している社会。しかし、これはブリヤートに限ったことではないらしく、ダライラマ14世の自伝の中でも重大事項を決定するときに、必ず相談するのがやはり名前こそ異なれ、ネチュンという名前のそれに近い役職の人間らしい。

「ネチュンはもともとバタホルという中央アジアの地に住んでいた。インド人の聖者ダルマパラの子孫とともにチベットに移住してきた。八世紀のチソン・デツエン国王の統治時代、インド・タントリックのグル(師)であり、チベットの精神的守護者であったパドマサンバヴァによってネチュンはサンミヤ僧院の保護者に任命された(サンミヤは事実上チベットで最初に建てられた仏教寺院で、別のインド人学者、シャンタラクシタ院長によって創始された)。というわけで二世ダライラマは、ネチュンーこの頃にはデプン僧院と深い結びつきをもっていたーと親密な間柄となり、それ以来ずっとドルジェ・ダクデンが歴代ダライラマの個人的守護者となったのである。」(「ダライラマ自伝」P330より)

このネチュンは「クテン」という霊媒を使って、そのときの懸案事項の決定を行うようである。その点では、民間と寺院内という違いなどはあるが、ある程度、チベット寺院でもブリヤートの民間信仰と同じく、土着的な信仰を包容している部分を持っていることが興味深い。日本でも、東北地方に依然として信仰を集めるシャーマン的(イタコなど)存在があるだけに、何か共通するものを感じるところがある。

話は変わるが、ブリヤート共和国以外でも、シベリアや旧ソ連の各地の主要な街の最も立派な建物は大概、ソ連によって抑留された日本人捕虜によって建てられたものであった。バイカル湖へ向かう、どんなに起伏のある山道を越えても真っ直ぐに続く見事なハイウェイも日本人捕虜が建設に関わったものであると聞いたとき、本当に涙が出た。また、モスクワで偶然会ったロシア人から、彼の父親もなんらかの理由でシベリア送りになり、そこで多くの日本人捕虜と一緒に労働したという話を聞いたとき、その人は言った。「俺たちロシア人は図体ばっかりでかいけれど、全然仕事となると駄目なんだ。そんなところで、日本人の捕虜たちは痩せ細っていても立派に働いていたと、いつも父が話していたよ。特に上下関係が礼儀正しかったってね。君みたいな本物の日本人に出会うことができて、俺は嬉しいよ。」そう言って握手を求められたこともあった。

ロシア人ですら、庶民と言うのはこういう感覚なのである。そもそも、あの激戦のスターリングラードでドイツ人に焦土にされ、限りない人命が失われた土地のロシア人ですら、子供の頃のことを回想して、いまだに無邪気に「ドイツ人の兵士は子供には優しくて、スポーツマンのように格好よかった」というくらい、ロシア人の個人というのは、ある意味恐ろしく過去にこだわりがない。(一方で残虐な点多々あるので、この点ばかりを強調するわけにはいかないが、ドイツ人の生き残り将校は対照的に「今度戦争やったら、絶対負けない。あの失敗は指揮をしたヒトラーが愚かだったからだ」と語っており、非常にこの違いが印象的だった)

一方のブリヤート人はというと、やはり日本人をそう身近に知らないながらも、非常に親近感を持っているようだった。たしかに、私が単に親近感を持っただけでなく、彼らの律儀さだとか、普通のロシア人とは違う粘り強いところや謙虚さ、真面目さなどは本当に知れば知るほど昔の日本人が持っていた美徳をそのまま残しているように思えてならない。

また、後にモンゴル人のことを知るにつれて、(一緒に仕事もしたが、あまりの責任感のなさと自分勝手さに驚かされ、同時にブリヤートの人たちと比べて失望させられた。ある意味、朝青龍も似たようなケースではないかと思う。)ブリヤート人が彼らのことを「繊細さに欠く民族で我々とは違う」と言っていた意味もやっと両者に接して分かるようになってきた。

少数民族のこととなると、なかなか違いを分かるようになれといっても実際には難しいことではあるが、やはり誇り高い民族というのは数限られておれど、ブリヤートの人たちは心から素晴らしいと思わずにいられない。もしかすると、彼らこそ本当に日本人の先祖に通じるものを持っているのではないかと密かに思うのである。

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