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グルジア人のプライドと現実

ロシアの首都モスクワに4年ほど住んでいただけの私でも、現地にいると驚くほど多様な人種と関わるチャンスがあった。それぞれに良い面と悪い面があり、ロシア人と長く付き合えば付き合うほど日本では味わえないほどに感動的な経験も多々あった。そういう意味では、ロシア人は平均寿命は短くても、色濃い人生を送っているといえよう。

しかし、そんなロシア人でも色濃さでまったく太刀打ちできない人種がいる。私が思うに、それはグルジア人ではないかということだ。

実際にアゼルバイジャンの人からも、アルメニア人からも、ロシア人からも、今のグルジアという国の経済的、社会的現状の過酷さを聞かされ、散々「危ないから行かない方がいい」というアドバイスを受けても、どういう縁か既に二回も首都のトビリシにお邪魔した私としては、このグルジア人という謎の多い人種の奥深さと魅力、そしてその歴史には、計り知れないものがあると思う。

そもそも、今回はグルジアに限定して話を進めるとしても、コーカサス一帯の歴史というのはロシアなんて逆立ちしても及ばないような古代から端を発しており、アルメニアなども聖書に出てくる「ノアの箱舟」がアララト山に存在するような昔からキリスト教を国の宗教にしたような恐るべき歴史を持つ国なのである。

正直言うと、最初のうち、モスクワでイタリア人を濃くしたような黒髪の、風貌からして情熱的な人々に出会うたびに、不思議な感覚に陥ったものだ。彼らはロシア語を話すが、どうもこちらが現地語のアクセントに慣れれば慣れるほど、独特の節回しでどこか飄々と話をしているように思えてきて、その語り口にいつの間にか引き込まれていた。

とはいっても、モスクワで一番近い隣人として、もっとも自分を可愛がってくれたのは、元タス通信の非常に優秀な記者だったと思われるアルメニア人のインテリ老夫婦であった。彼らは決してグルジアを悪く言うことはなかったが、ときどきトルコやアゼルバイジャンとの領土問題のことを嘆き、いまや墓参りさえできなくて、そのままになっている母国の懐かしい思い出話をよく聞かせてくれた。実際、ソ連崩壊後、グルジアとアルメニアは険悪の仲となり、そこにアゼルバイジャンも交えて一時は騒然とした殺戮の光景が繰り広げられたほどであったらしい。

まあ慣れてくれば、ロシア人も意外と人懐っこいし、親しくなると楽しい人たちであるが、如何せん、お金が絡むことになると信用できないところがある。だから、「下手に友達を家に呼んではいけない」というのすら、鉄則といわれていたくらいだ。

しかし、このアルメニア人の夫妻ほど親日的で完全に私を家に招き入れて、「私たちの孫」と呼ぶくらいに心を開いてくれた人もなかった。たしかに、彼らは特別なインテリ層の元特権階級に近い人たちで、ソ連時代にブレジネフ政権下でフランスやアフリカ諸国に長期で滞在していたような完全に国際人と呼べる種類の人種だったこともあったとは思うが、後々いろいろなコーカサス系の人たちを知り合うようになっても、やはり開放的な気質は明らかにロシア人とは異なると思われた。

ただ、最初のうちは単に陽気で社交的なのか、それとも珍しい日本人ということで親切にしてくれているのか、ちょっとこちらとしても、よく分からなかった。

ただ、部屋の中の様子を見ていても、明らかにロシア人と違うのは、彼らがとても清潔好きで室内も完璧に掃除が行き届いたところを好み、装飾などもロシア人のようにセンスの悪い並べ方などせず、なにかしら、骨董品などの価値の高いものを整然と並べてあったりするのだ。

(さり気なく置かれたサモワールも、100年近く前に製造された骨董品で手入れもよかった)

趣味の違いもあるのだろうが、ロシア人というのは、どちらかというと室内装飾よりも、所蔵している書物によって家主の人物を推し量った時代が長かったからか、いまだ金持ちが増えても、一向にセンスがよくなったとは感じられない。一方、アルメニア人のこの夫妻にしても、トビリシで招かれたグルジア人家庭にしても、どちらも今はかなり没落して、それほど余裕があるとは思えない人たちでも、これまでに培ってきた歴史文化、民族的背景を感じさせるような持ち物の高尚な趣味の現れ方は、独特のものがあった。

そもそも、関西人である私としてはグルジアに行って、まず驚いたのは、あれだけ経済破綻して、他国へと出稼ぎした身内の送金で食いつないでいる国において、毎朝ほぼどの家庭でも近所で「焼きたて」のフランスパンの原型のような不思議に細長く硬いパンを買って食べていることだった。食べるものへのこだわりと、文化程度の高さはある程度比例すると私は確信する。

これがまた、ちょうどいい程度に塩加減がしてあって、絶妙に美味なのである!もちろん、ロシアだってパンの種類は多かったし、黒パンも慣れれば美味しくて、健康によい食品ではあったが、実はロシア人の食生活は単純極まりなく、トルストイの描いたような貴族社会の時代から一直線に転落したソ連庶民の食卓というのは、信じられないほど粗末なものだった。

それとは対照的に、没落どころではない、ソ連崩壊後の経済破綻によってCIS諸国と呼ばれる旧ソ連圏の国々でももっとも貧しい国となったグルジアの食文化の豊かさは、驚愕する以外ないものがあった。実際、モスクワでも最近になってグルジアと国家的大喧嘩をするまでは、美食家をうならせるようなたくさんのグルジア料理店が存在していた。私の住んでいた近所にも、小さなグルジア人経営の食堂があり、その店で食べたものがいかに美味だったかを思い出すと、数年間ロシアで食べていたものが束になって吹っ飛ばされそうな勢いだ。なにを食べても、まったく外れがなく、質素ながら味付けは完璧だった。

とにかく、ひとつの料理「ハチャプリ」というチーズを挟んだパイのようなものを取っても、グルジアというあれだけ狭い国の中の地域によって、私の知るだけで3-4種類のまったく違うパターンが存在し、それぞれがなんともいえぬ味わいと特性を持っている。

ロシアがあれだけ広大な国土を持ちながら、シベリアまで行っても文化的な特別な違いを感じず、しかも、いろいろ食べてみて、美味しかったのがバイカル湖の魚と、ブリヤートの人々が作る「ポーズイ」という豚饅頭くらいのものだったことを考えると、その差は大きい。狭い地域に多様な民族がいるグルジアという文化圏の底の深さを伺わせる。

しかも、食べ物が美味しいというだけでなく、グルジア人の女性の美しさというのは、同性の自分が見ても圧倒的な存在感があって、金髪のロシア人など見慣れてきたら皆「染め金(髪を染めている)」の偽者と思えてくるのに、彼女たちの光沢ある見事な黒髪を見て、改めて黒髪の美に打ちのめされるようなくらいの威力である。アルメニアもまた、美女が多いことで有名らしいが、グルジアも然り。そして、男性もまたなんともいえず、男らしい。古風といえば古風なのだが、家父長としての風格というものが備わっている。存在感抜群の髭のせいもあるかもしれないが、「頼りになる男」を絵に描いたような人たちで、実際にトビリシ滞在中などは、私がホテルの階段を上り切るまで目を離さないくらいに、客人にも注意を払う人でこちらの方が恐縮するほど、丁寧な扱いをして貰った。

それに比較すると、ロシア人も図体が大きいばかりで何とも頼りないように思える。しかも、芸術関係者などで、特にロシア人でも精神的に強いものを感じるような人はたいていユダヤ人で、生粋のロシア人で精神性が感じられる人となると、どうしても貴族的な風貌に戻っていってしまうわけで、ソ連時代のポスターなどに出てくるような顔は、いかにも田舎の芋というしかない。

さらに、知れば知るほど、グルジア人の芸術性と情熱に私は惹かれていった。日本でも加藤登紀子が歌って有名になった「百万本の薔薇」。

実はあの歌も、グルジアが誇る画家ピロスマニシビリ(通称ピロスマニ)の実話に近い話が元になって出来た歌だというのだ。ピロスマニは、一生放浪生活の中で定住することを好まなかったという。飲み食いさせてくれた酒場の壁などに描き続けた孤高の画家と華やかな女優の恋の歌。その歌のすばらしさは、彼が物欲ではなく、精神的な愛のみに自分の人生を捧げ、文字通り「すべてを売って薔薇の花」を百万本買って、女優に捧げたというドラマチックな物語性だろう。でもグルジア人を知った今となっては、「それもやりかねない!」と私には思えてしまうのだ。

頻繁に起こる停電、海外送金を待ち構えて銀行前に並ぶ人々、内戦で家を追い出されて小学校の教室に暮らす家族、シュワルナゼの悪政時代が続いたせいで、戦後一度も舗装しなおされなかったボコボコの道路、崩れるかと思うような古めかしいアパートの踊り場には電球のひとつもなく、そんな生活をしていながら、客人のためにはテーブル一杯にご馳走を並べ、まるで西洋絵画の静物画から抜け出してきたかのような果物の籠を置き、グルジアの誇る、ヨーロッパより古い歴史と伝統を持つワインで「タマーダ(乾杯)」の連続で歓迎する人々。

世界の何処に、これだけ気前よく客人をもてなす伝統を貫いて生きる誇り高い人々がいるのであろうか!

まさに、グルジアこそ自らの伝統と文化の誇りを、たとえ廃墟のようになった貧しい中にも希望と勇気をもって照らし続けているのではないかとすら、思えてくる。彼らを思い出すと、物質的な豊かさのすべてが空しくなる。何のために数年先の年金のことばかり心配して、こせこせ生きなければならないのか。

本当の豊かさの意味を教えてくれるのは、石油成金になった今のロシアでもなく、売り上げ世界一の自動車会社がある日本でもない。豊かさとは、人間の精神の持ち方と、その表現の仕方にこそあるのではないか?それを私に教えてくれたのが、まさにグルジア人だったと思うのだ。

今は何もたいしたことはできない私であるが、「誇り高き民族の前途に栄光あれ!」と心から祈るばかりである。

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