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ロシア演劇におけるチェーホフ

手前味噌になるが、ロシアの芸術文化の中でロシア人が最も誇りにし、かつ情熱を注いできたのが演劇であるということを知らないであの国にいる人は不幸だと思う。もちろん、すべてのロシア人が演劇好きというのは極論であるが、ある程度の知的教養を意識するレベルの人間なら、外国人である私の方が演劇に通じているということが分かると、たいていが恥じ入るか、「行きたいのは山々だがなかなか・・・」と弁解じみたことを言うくらい芝居通いができないということは、ロシアでは教養程度を測る最も簡単なバロメーターともいえるのだ。実際、劇場に行ってみれば分かるのだが、日本と違って層が厚い。しかも全然違う分野の人(たとえば、宇宙工学、建築など)が途中で演劇関係の大学院に転向してきたり、見に来る人もまるで分野違いなはずなのに、玄人批評家顔負けの毒舌で厳しいコメントが飛び出すのも当たり前で、実にチェーホフの有名戯曲などに至っては、おそらく演劇好きなら、片っ端から大事な場面の台詞は役者より先に口に出てしまいそうなくらい詳しかったりするのだ。

それもそのはず、チェーホフという天才的劇作家がもしロシアに出現しなかったならば、世界の演劇界は確実に違う方向に向かっていただろうといえるほど、この地味な風貌の苦労人であり、かつ博愛的に人々を助けた医者でもあった彼は、実は世界の演劇界でおそらく常に最も上演したいレパートリーに入り続けるような傑作戯曲を残している。日本でもおなじみの「かもめ」、「三人姉妹」、「ワーニャ叔父さん」、「桜の園」など。

実を言うと、モスクワには彼の名を取った劇場「モスクワ芸術座」があり、今も非常に人気があり、時代の先導役ともいえるような斬新な芝居を上演し続けている。そもそも、彼が最初に書いた戯曲が帝都サンクトペテルブルクでまったく評価されず、失意のどん底にあったときに、チェーホフを個人的に励ましたのがネミロビッチ・ダンチェンコという有名な演出家であった。彼こそが、この「芸術座」を長年に渡ってスタニスラフスキー(世界的に有名な俳優養成システムの著書を残している)と共に率いてきた非常に芸術的にも実務的にも有能な人であった。

そもそも、革命前からロシアでは演劇が非常に盛んではあったが、演技の方法というのは、ほとんど理論的に確立されておらず、有名な俳優の独演に他の端役たちが花を添える式で独白の言い回しや見せ場を売りとしたような芝居が多かったようだ。ところが、このチェーホフという人が書いた戯曲は、まるで主人公があって主人公がない。いわゆる、ロシアでは「アンサンブル」と言っている「俳優同士の協調性」を重視して芝居をまとめていくという、まったく新しいスタイルの人物関係を取っていた。

しかも、チェーホフが医師であったことや、喜劇的な短編作家としても相当の活躍をしていたために独特のユーモアセンスがあったことから、単純に「悲劇」とも「喜劇」とも割り切れないようなジャンルが出現したわけである。
しかも、チェーホフ以前の時代には、演劇においては「役者が主役」であったため、「演出家」というのは、ほとんど重要視されてこなかった。そのため、一番最初の彼の戯曲「かもめ」が上演されたときには、舞台の上で繰り広げられた演技はまとまりがなく、てんでばらばらになって、しかも主役のはずの女優がまったく引き立たないという散々な芝居になってしまったのであろう。

しかし、面白いことに、この失敗の御蔭でモスクワ芸術座の前述の二人の演出家は「まったく新しい芝居には従来とは違う役者が必要だ」ということに気付き、ここからロシア演劇の大きな改革が始まり、やがてその集大成が世界に名立たる「スタニスラフスキーシステム」として、海外でも知られるようになるのだ。

また、さらに興味深いことには、この時代には非常に個性的で斬新な演出家がモスクワを中心に続々と新しい流派を出現させ、特に世界に名を残しているメイエルホリドのような師匠スタニスラフスキーの舞台理論を否定して、新たに自分の舞台世界を築き上げる者まで現れてきた。このメイエルホリドという人については、いまだにロシアでも伝説的に語り継がれており、いわゆる「アバンギャルド」な舞台芸術の最高峰として、いまでも彼の名を取って賞賛されることほどの名誉もないというくらいに凄い舞台人であり、演出家であった。

彼は非常に多作であり、早くからモスクワ芸術座で俳優として活躍していたために、鋭い嗅覚で様々な理論と実践の間の乖離や失敗を見抜いていた。そのため、特に「自然主義的演出」として、「トンボや蛙が脚本にあるからといって、舞台に実物を飛ばす」ような愚を犯すようになった極端な行き過ぎや、心理的に役に没入する演技を強要された役者が一種の精神病体質になる危険などを見抜いて、まったく別の方向から役者養成にアプローチすることを思いついた。こちらが、精神より肉体や人間の職業的習慣性などを体操のような形で取り入れようとした「ビオメハニカ」というものであった。

さらに、メイエルホリドがいかに卓越であったかということを語るときりがないが、彼はギリシアやイタリアの古典演劇の手法を学んで取り入れたり、日本の歌舞伎や実際に存在する日本の忠臣物に近い(忠義のために自分の子供をあやめる)戯曲に興味を示したり、実際に最も有名なゴーゴリの「検察官」という芝居の演出で、日本人でそれを見た小山内という人に「これは日本の歌舞伎じゃないか」という風に言わせたような奇抜な方法を使って、聴衆の度肝を抜いて見せたりしている。実際、色々調べると、一時的かもしれないが、日本人で歌舞伎の素養が多少なりともある弟子のような人とも関わっていたようだ。また、メイエルホリドと方向的に似ている映画監督の草分け的存在、エイゼンシュテインも同様に日本の歌舞伎や漢字、文化全般に相当の興味を持ち、自らロシア公演の通訳を引き受けて多くを学ぼうとしたほどであった。

ここでまたチェーホフに戻らねばなるまい。結果的に言うと、スタニスラフスキーもメイエルホリドもチェーホフのような戯曲が存在しなければ、あそこまで「アンサンブルにおける役者の演技」について、進化させる必要性がなかっただろう。つまり、一人チェーホフがつけた導火線によって、ロシアの演劇界の至る所で火花が散り、大きな祝砲が上がったともいえるのではないか。さらに、世界の演劇という視点で見ても、実際に演出する側が「最も演出しやすく、テーマを自由に取りやすい」のがチェーホフものと言われており、それは実際かなり信憑性がある。対極にある同様にロシア演劇界の有名な小説家ゴーリキーの書いた代表作「どん底」などは、どんな国でどんな演出を使っても、何か新しさが出しにくいし、ドストエフスキーの作品を舞台化した場合でも絶対に違う色に染めることはできない。しかし、チェーホフなら、どんな色にでも染まり、どんな形にでもなり、演出家の考え方や時代背景、その文化圏によって、どんな意図にも取りやすい柔軟性があるのだ。

ところで、不思議なことに特に晩年は体調の不良にも関わらず、敢えて流刑の地であった僻地のサハリンへ向かったのであった。はっきりした理由は分からないが、おそらく漠然と東の果てにあるものに憧れていたというのもあろう。しかし、それだけでなく、チェーホフの人生観の達観ぶりというのは非常にロシア的でありながら、同時にどこか東洋的だとも思えるのだ。その無常観というか、必ず主人公がハッピーエンドになることのない、現実の世の中の不条理。そして、人間がどんなに熱く語り合い、理想を持ったところで、どこか噛み合わないところがあるということを深く見つめる醒めた目。こういう人は、現実のロシアでは非常に稀だ。それでいて、本人の実生活では非常に地味でありながら、周りの人々に対するささやかな思いやりを忘れず、貧しい医学生時代からほとんど生涯、家族の面倒を見続けていながら、控えめな人生を送ったチェーホフ。芸術座の女優と結婚しても、ほとんど一緒に暮らさなかったり、ある意味、私生活でも派手さと無縁で、逆に病身を押して僻地を目指す偏屈もの。

なんだか不思議と、世捨て人とまではいかないが、達観した修行僧のような人生にも思える。諦めながら諦めない人生。チェーホフの芝居を数え切れないほど見てきたが、一言で言うなら、彼の究極の人生観はそこにあるかもしれないと思う。そして、ロシア人にとってもまた、チェーホフこそが人生のバイブルなのかもしれない。
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