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名将たちの教育論 12

第3章 名将たちに学ぶ日本の教育改革

第1節 「六三三四制」の改革

 学校教育のシステムをどのように構築するかは、国家が教育の目的を何と考えるかにかかっている。

アメリカの基本的人権の考え方は人間の備えるべき道徳については清教徒であることが前提となっている。なぜなら、清教徒の道徳論を除いた"基本的人権"を"基本的動物権"と記述しても適用できる。例えば動物園の野獣が

「殺すな。檻に閉じ込めるな。美食をよこせ。俺たちのことは俺たちで決める。人間よ従え!」

 と主張することができる権利となって基本的人権と同じ主張になってしまう。

言い換えれば、アメリカの基本的人権思想を日本に導入するには、

「人間の心は"公正"、"名誉(恥じを知る)"、"博愛"という着物をきていなければならない」

 という"人間の条件"の項目が付帯していなければ人間社会が野獣社会に堕する危険な思想なのである。そうでなければ人間の顔をした野獣が街を闊歩することになる。

古代ギリシャのメロス島の人々が言残した名言"愛と利は反比例する"から愛が自分に向けられれば、個人主義は簡単に利己主義に転換してしまう。しかし利己主義の愛は自分自身からもすべてを奪う。

"世界は二人のために"と歌う二人は、周囲の人々からすべてを奪う。そして最後に互いに奪い合って殺しあう。

愛は他人に捧げなければ意味がない。"愛はすべてを奪う"から愛する人に自分を捧げる自己犠牲の精神が人間社会において普遍的価値を持つのである。そうでなければ 「個人主義は二枚舌の生みの親」

になってしまう。ところが "賢明にして正直かつ無欲で勇敢"が個人主義成立の基本条件なら、そんな完全な人間はそんなに多くはない。しかし、個人主義が美徳と誤解する人間は"傲慢"になる。

「私の考えが最も良い!」

これこそ今日の多くの嫌われる日本人に見られる体質である。

 アメリカ社会は、この二つの危険をよく承知しており、毎週日曜日の朝は教会に通い、すべての学校では教会を持って牧師による道徳教育が行なわれている。アメリカは「政教一致」の国なのだ。

すべての公的行事には国旗を掲げ、国歌を演奏し、牧師が説教するか、聖書に手を載せて"神に忠実"を誓う。家庭では、食事を始めるまえには聖書の一節を述べて神に祈る。

 ところが日本国民の産業部品化というアメリカの占領政策によって日本の学校教育は「善良な人材」の教育を軽視すると一般的な学校の教育の内容は「能力付与」が教育の目的になってしまっている。こうして日本の教育の優先順位は「知育第一」になり、"善良な人材の育成"の重要さは無視されてきた。

したがって日本の教育を改革する第一歩は学校制度の改革である。最初に敗戦によって導入した六三三四制の本家、アメリカの教育システムを眺めてみる。

アメリカでは、"善良な人材"の育成の大部分を教会に依存している。したがって学校制度は人間の条件を教育する必要がないから、その部分を除外して能力付与主義にもっとも効率的な初等・中等の学校体系としている。

国が定める義務教育は6才から9年間であって14才で終るが、州によって多様な教育システムとなっている。それらは、

「六三三制」:日本に提示したもの

「六六制」:後半の6年が中・高校の一貫教育
「八四制」:前半の8年が小・中学校の一貫教育
「五三四制」:
   5年制の小学校
   3年制の中学校
   4年制の高等学校(Military Academy はこの一つである)

 このうち、六六制、八四制、五三四制では義務教育期間と合致しない。

大学は2年制の短期大学(Junior College)、
4年制の教養大学(Liberal art College)
4年制の総合大学(University)、
6年制の専門大学(Professional School)
3年制の成人大学(Community College)

がある。義務教育の前には3年間の幼稚園(Nursery SchoolまたはKindergarten)がある。

一見して判るとおり、生徒・学生にとって選択肢は多い。

次にイギリスの教育システムを眺めてみよう。

アメリカ革命戦争の敵イギリスの学校制度は義務教育の開始が1年早く、義務教育期間は5才から16才までの11年間である。義務教育の前には3年の幼稚園があるから、一番早くから教育を受ける子供は2才からスタートする。そこには二つのコースがある。

○ 公立学校(Maintained School)コース
6年制の小学校(Primary School)
5年制の4種類の中学校:Modern School
Technical School
Grammar School
Comprehensive School)

   高等学校は私立学校コースに入る

○ 私立学校(Independent School)コース
6年制 (三三制)全寮制小学校(Preparatory School)
5年制全寮制私立中学校(Public School)
2年制高等学校(High School)

○ 大学は
3年制の全寮制単科大学(College)

     オックスフォード大学やロンドン大学、ケンブリッジ大学は、単科大学の集合的総称である。

公立学校コースも私立学校コースも義務教育が終っても大学に進学できない。その前に高校において「人間とは何か、人生とは何か」を勉学し哲学することが必須である。

カレッジの教育システムの本質は"徒弟教育"である。夕食は全員で教授とともに正装で摂る。教授との会話がしばしば教育内容のエッセンスが入る。イギリスの大学はこうしたカレッジの集合体なのである。英国私立学校コースの全寮制における夕食もこの慣習である。ここでエチケットを体得することになる。アメリカの全寮制学校では、ミリタリー・アカデミーを除いて、この習慣はない。

戦前の日本の教育システムは義務教育が6年間であった。
    6年制の小学校

義務教育のあと上級の学校に進まない人たちは

2年制の尋常高等小学校
    5年制の中学校または工業学校または商業学校
    2年制の高等学校または4年制の専門学校
    4年制の大学

一般中学校を卒業した人たちのうち大学に進学する人たちは、2年制の高等学校を経ることになった。この2年制の高等学校の教育目的はイギリスと同様に「人生とは? 国家社会とは?」と哲学を身に付けることであった。課目は数学、哲学、倫理学、国語、外国語の5課目のみである。

旧制高校の学生たちは、日夜、哲学を論じ合ったものである。日本の青少年が成長の最も重要な時期、17~18才の期間に哲学する英国式や戦前日本式の2年間の高等学校制度は是非とも復活したいものである。なせなら、どんな分野の学問においても哲学と人生観は不可欠の前提なのである。

今日、日本には「総合大学」という実体のない概念が存在する。実体は、各学部がイギリスのカレッジに相当している。各カレッジの教育内容を横断的かつ総合的に教育する大学はない。

アメリカとイギリスと戦前の日本の教育システムを比較してみると三つの着想が生まれるだろう。

一つは、子弟の教育は、早い時機から団体生活に慣れさせることが必要であり、その一つの方法が全寮制の学校である。

学校は商品を生産する工場ではない。子供たちにとって、人生で初めて経験する社会生活の場である。西欧では学校は子供たちの「公の場」と呼んでいる。

 必然的に子供もたちは、学校生活が始まると一日が「公」の生活と「私」の生活に区分されることになる。公の場における教育は聖職者の使命であるが、「私」の生活の場における教育は、父兄の責任である。その教育内容は「公私混同」してはならないのである。

 戦前においては、父兄にとって学校は別社会だった。学校における教育には干渉しないという不文律があった。学校の先生もまた私の生活の場における教育には干渉しなかった。それぞれの家庭には「家訓」があり、家庭における子弟の教育は家訓に基いて「我が家流」が確立していたのだ。

公の学校教育と我が家流の教育の合作が個性ある青年の育成である。青年の教育は、マスプロダクションの画一的な商品生産ではないのだ。一人ひとりが職人の手で作られた芸術品なのである。それは「公」の教育という社会生活共通部分と「我が家流」という特色から出来上がっている。

いま先ず各家庭は「子供の教育に関する家訓」を作ることを奨励するとともに、PTAを廃止して「公私混同」の教育体制を整頓しなければならない。

もう一つの方法は、軍隊教育の場のように全寮制の学校を増設し、「公の教育に週5日間(71%)、私の教育に2日(29%)」とする方法がある。

毎日通学する教育では、一日の睡眠時間を3分の一、学校生活時間を3分の一、私時間を3分の一とすれば「公教育36%、私教育64%」となる。どちらを選択するかは、父兄の子弟教育に対する方針で決まる。

二つ目は、選択肢の多い教育コースである。

三つ目は、人生の最も感受性の敏感な青春に哲学と倫理を学ぶ機会を与えることである。

「士官学校の教育において、最も重要な課目は哲学と歴史である。戦いに勝利するための戦争学よりも、社会科学としての戦争学を士官学校の時代に教育しなければならない。その広い視野の教育が戦前の日本士官学校や海軍兵学校に欠落していた」(槙校長訓話1956)

戦前の士官学校や海軍兵学校は別として、一般大学(4年制)の入学まえに2年制の高等学校(旧制高校)があった。これが青春時代の哲学の場であったのだ。

日本の指導者になろうと大志を立てた青少年が義務教育のあと最初に勉学しなければならないことは、自己の信念の確立である。その信念はド・ゴール大統領が述べるように、他人に対して全体像を明らかにできるものでなくてはならないし、その全体像が人々から納得されるものでなければならない。信念の裏付けは哲学にほかならない。そのような見識は大学に進学する条件とすべきだろう。したがって哲学を学ぶ学校が義務教育と大学教育の間に必要なことは論を待たない。その期間は青春の炎が燃える2年間で十分だろう。

社会科学と自然科学の違いは、人間の価値観を挿入するか、否かの違いにすぎない。 「哲学は学べない。哲学することを学ぶだけだ」

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