アラブ首長国連邦は、ペルシャ湾南部に面する中東の国である。世界有数の原油生産国であるが、石油依存からの脱却を図り、産業の多角化や新エネルギー産業の開発にも努力している。2007年1月27日から2月2日にかけて、取材のためにアラブ首長国連邦に滞在したので、その時の体験も交えながら、この国の文化と歴史と将来の戦略を紹介したい。
1. UAEの地理と文化
1.1. UAEの地理
アラブ首長国連邦は、以下の図に示されているように、サウジアラビア、オマーン、イラン、カタールに囲まれた中東の国である。首都は、アブダビ島に位置するアブダビである。
中緯度高圧帯に位置するため、ほとんど雨は降らない。海に面してはいるものの、風が南から北に吹くので、あまり恩恵はない。もっとも1月29日の朝はこういうように、濃い霧が立ちこめていた。だから、ぜんぜん降雨がないというわけではない。
アラブ首長国連邦は、アブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アールカイワイン、フジャイラ、ラアス・アールハイマという七つの首長国から成り立っている。 以下の行政区分地図を見てもわかるように、アブダビ首長国(黄色の部分)が国土の大半を占めている。
アラブ首長国連邦の人口の8割以上は、外国人で、主としてアジアからの出稼ぎである。滞在中にタクシーのドライバーに出身地を聞いてみると、パキスタン、バングラディッシュ、アフガニスタン、フィリピンといった答えが返ってきた。ホテルで働いている人たちも、容姿から判断して、外国人だったと思う。民族衣装を身にまとった、いかにも現地の国民とわかる人には、政府関係者が多かった。
1.2. UAEの文化
アラブ首長国連邦の宗教は、もちろん、イスラム教である。アフガニスタンから来たというタクシードライバーは、運転中、コーラン読経のCDを流していた。公共の施設には、トイレと同じ数だけのモスクが存在し、毎日、日の出、日の入りなど、礼拝の時間になると、どこからともなく、祈りの声が聞こえてくる。
イスラム教は、しかしながら、この地域の文化のすべてではない。イスラム教が普及する前から、この地域には、ベドゥインの文化があった。今では、定住する人が多くなったが、かつてはこの地には、放牧や商業に従事する遊牧民がいて、彼らはベドウィンと呼ばれた。「アラブ」という言葉は、ベドウィンを意味するヘブライ語に由来するという説もある。
ベドウィンには、もてなしの文化がある。ベドゥインたちは、歓迎するべき客を自分たちの野営地に泊まらせ、彼らを保護する義務を負った。では、客は、歓迎されているかどうかをどうやって判断したのだろうか。それは、ホストから飲み物(例えば、コーヒー)が出されるかどうかでわかる。
If, for example, someone visited another's house and was not offered a refreshment, it was a clear sign of the host's displeasure with the visitor and an indication that he was not welcome. If coffee was withheld, it meant the host was annoyed with the visitor. Similarly, if the guest did not drink the refreshment he was offered it was an indication that he was displeased with the host.
もしも、例えば、ある人が他の人の家を訪問して、飲み物が出されなかったら、それは、ホストが訪問者を不快に思っている明確な印で、歓迎されていないことを示した。もしもコーヒーが保留になれば、それは、ホストが訪問者を迷惑がっているということを意味した。同様に、もしも客が出された飲み物を飲まなかったなら、それは、客がホストを不快に思っていることを示した。
中東では、飲み物が貴重だから、こうした習慣ができるのだろうか。この習慣は、今でも続いている。たんにコーヒーが嫌いなだけで、飲むのを断ると「ホストの態度が気に入らない」と言うのと同じことになる。
私は、29日に、レセプション・パーティーに招待され、参加したが、夜8時半(日本時間で、深夜1時半)から開始ということで、しだいに眠くなり、立っていられなくなったので、ホストのスピーチを聞いた後、ジュースを一杯飲んで、何も食べずに、会場を後にした。もちろん「ホストの態度が気に入らない」からではない。そう誤解されなかったことを願いたい。
2. UAEの歴史
2.1. イギリスによる支配の始まり
ベドゥインの社会は、部族社会で、そのために、この地に大きな統一国家ができることはなかった。しかし、イスラム教は、超越神のもとに、血縁関係を超える国家統治と通商を可能にした。大航海時代になると、イスラム商人に代わって、ヨーロッパ人がこの地方の通商を担うようになる。アラブの首長国は、海賊となって、ヨーロッパ人の通商を妨害したが、1853年に休戦協定が締結され、それに因んで、アラブ首長国は「休戦国家」と呼ばれていた。
インドを植民地化したイギリスは、インドと中東との交易を安全にするために、ペルシア湾内のシーレーンを確保しようとした。そして、アラブの原住民が、一致団結してイギリスに抵抗しないように、部族どうしが争い合うように画策していた。伝統的な「バランス・オブ・パワー」の政策である。アブダビで権力闘争に勝利したのは、シェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンである。彼は、1855年から1909年にかけて、長期間にわたって、アブダビとその周辺の支配者となった。
ムハマンド・アル・ファヒームは、シェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンのこんなエピソードを紹介している。
He defeated Sheikh Khalid bin Sultan, ruler of Sharjah, in 1868, by killing him in one-on-one combat thus gaining much prestige and respect among the bedouin tribes.
彼は、1868年に、シャルジャの支配者であるシェイク・ファリド・ビンスルタンを一対一の格闘で殺害することで、打ち負かし、かくして、ベドゥインの部族の間で大きな名声と尊敬を獲得した。
トップ同士の決闘で権力闘争にけりをつけたというのだから、19世紀であるにもかかわらず、この地域はまだ前近代的な段階にとどまっていたということがわかる。
シェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンは、フランスと手を結んで、イギリスの支配に対抗しようとしたが、うまくいかなかった。シェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンの死後、後継者の地位をめぐって、暗殺が連続的に起きている。ムハマンド・アル・ファヒームは、イギリスの陰謀だと言っている。イギリスは、原住民の支配者が言うことを聞かなくなると、その親戚を応援するということをしていたようだ。このため、休戦国家は、イギリスの支配から脱することはできなかった。
2.2. 真珠生産
石油を輸出する前のペルシャ湾岸地帯の主要な輸出品は、真珠であった。天然真珠の採取は、苛酷な労働であったが、これによって、人々が豊かになることはなかった。
Unfortunately, the only people who really benefited from pearling were the merchants, most of whom were Indians. They bought the pearls and re-sold them in India to wholesalers who then distributed them to the rest of the world.
不幸なことに、真珠産業で本当に儲けた人々は、商人に限られており、その大部分はインド人であった。商人たちは、真珠を買って、インドで、世界の他の地域に配給する卸業者に転売した。
インドは、イギリスの植民地だから、実際に儲けているのはイギリス人ということになる。その証拠に、直接取引きを禁止していたのは、イギリス軍だった。
1930年代になると、日本の安い養殖真珠が世界市場を席巻し、真珠の価格の暴落により、湾岸地帯の天然真珠産業は崩壊する。アブダビは、真珠に代わる輸出品を求めたが、石油で国家財政が潤うようになるまでには、長い時間が必要だった。
2.3. イギリスの統治の弊害
1892年までに、全ての首長国がイギリスの保護下に置かれた。
It is disappointing that the British, despite their presence in the Trucial States for almost two centuries, never lifted a finger to help us in the areas of education and health care. Not a single brick was laid by the British before 1959 to help the people of Abu Dhabi better their lives; they never built a school, a medical clinic or a mosque.
嘆かわしいことに、イギリスは、ほぼ二世紀にわたって休戦国家に君臨していたにもかかわらず、この地域の教育と医療にまったく貢献しなかった。イギリスは、1959年までは、アブダビの人々の生活改善のために何も造らなかった。彼らは、学校、診療所、モスクを一軒も建てなかった。
これは、イギリスの植民地統治と日本の併合地統治の大きな違いである。日本人は、併合地を内地と同等視し、インフラを整備し、学校を造り、人材を育て、産業を興した。その結果、日本が統治した台湾や韓国は、独立後、近代的な工業国家になることができた。日本は、南洋諸島でも教育に力を入れ、製糖工場などを造ったが、太平洋戦争後、アメリカが統治するようになると、観光産業だけの島になってしまった。もちろん、工業化には、環境破壊などの負の側面もあった。しかし、島民たちは、日本の近代化の努力をおおむね評価している。
これに対して、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国は、愚民政策で植民地を統治をしようとした。教育を行わないことで被支配者をできるだけ無知蒙昧な状態に放置し、支配者階級にならないようにした。さらに被支配者内部の対立を煽って、植民地統治への叛乱が起きないようにしようとした。こうした愚民政策のおかげで、ヨーロッパが統治した国々のほとんどが、近代的な工業国家になることができなかった。
イギリスは、第二次世界大戦後は福祉国家となり、そのため、1960年以降は、植民地にも学校を作るようになった。しかし、1962年に、ムハマンド・アル・ファヒームの母が30歳で死亡した時には、湾岸地帯に医者も看護士も一人もいなかったというから、この地域の福祉がいかに遅れていたかがわかる。
2.4. UAEの独立
1968年1月に、イギリスは、湾岸地方の植民地支配から撤退することを表明した。当時のイギリスは、増大する軍事費に悩まされていた。
The Labour Government under Mr Harold Wilson therefore undertook to reduce this item of expenditure, and in a White Paper published on 16 February 1967 further cuts were envisaged. One of the central features of this policy was to liquidate almost all British military bases east of Suez, withdrawing tens of thousands of men and their families.
ハロルド・ウィルソンが率いる労働党政権は、それゆえ、この支出項目を削減することに取り掛かり、1967年2月16日に出版された白書の中では、更なる削減が表明された。この政策の目玉の一つは、スエズ以東のほとんどすべてのイギリスの軍事拠点を整理し、何万人という兵士とその家族を引き上げるということであった。
かくして休戦国家は、アブダビ首長国を中心として、アラブ首長国連邦として独立することとなった。初代大統領は、アブダビ首長国の支配者で、シェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンの孫である、シェイク・ザーイド・ビンスルタン・アールナヒヤーンである。
シェイク(Sheikh)は、アラブ諸国で、指導者につける敬称であるが、そこから先も、よく似ている。このことを説明するために、アラブにおける命名のルールを説明しよう。アラブでは、個人の名前は、「自分の名前・ビン父の名前・アール姓」という形で表す(女性の場合は、ビンがビントになる)。子の名前には、祖父の名をつけることが多い。だから、この二人は、父の名前以外は同じなのである。
以下は、ナフヤーンの家系である。命名の法則に当てはめて、理解してほしい。
Zayed bin Khalifa Al Nahayan(祖父=アブダビの覇者)
Sultan bin Zayed Al Nahayan(父=アブダビの支配者)
Zayed bin Sultan Al Nahayan(本人=初代UAE大統領)
Khalifa bin Zayed Al Nahayan(息子=現UAE大統領)
現大統領は、4世代前の祖先の名前を取ったようである。
アラブ首長国連邦が独立し、イギリスが撤退すると、かつてイギリスが独占したこの市場に、日本、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなど他の先進国がなだれ込んできた。
The Japanese, for example, offered smaller more compact cars equipped with air conditioning. They also produced more affordable four-wheel driver vehicles as well as portable generators which were easier to move than similar British machines.
例えば、日本人は、エアコンの付いた、より小型でコンパクトな車を提供した。日本人は、また、四輪駆動の車を安い価格で作った。日本人が作った可動発電機は、イギリスの類似の機械よりも動かすのが容易であった。
イギリスはイスラエルを支持したために、アラブ人の間でイギリス製品に対するボイコット運動が起きた。このため、湾岸地域の市場が拡大したにもかかわらず、イギリスはあまり利益を受けることがなかった。
アラブ首長国連邦では、トヨタや三菱などの日本製の自動車をたくさん見かけた。日本車に乗っている人に聞いてみると、品質が良いからと答えていたが、政治的な動機もあるのだろう。イスラエルへの支援やイラク戦争などで英米がイスラム圏を敵に回したおかげで、日本企業は、いろいろと得をしている。
2.5. ザーイド・ビンスルタンの治世
アラブ首長国連邦は、イスラエルから地理的に離れていることもあって、第三次中東戦争までは、イスラエルとの紛争に関わらずにきた。しかし、独立後に起きた第四次中東戦争のときには、ザーイド・ビンスルタンは、アラブの団結のために積極的に行動した。
In support of our Arab brothers who were engaged with Israel in 1973, Sheikh Zayed was the first Arab head of state to take the courageous decision to stop the export of oil completely. Saudi Arabia followed suit immediately
1973年にイスラエルと闘っていたアラブの同胞を支持するために、シェイク・ザーイドは、アラブの国家元首としては最初に石油の全面輸出禁止という英断を下した。その後すぐに、サウジアラビアがそれに倣った。
1980年になると、イランとイラクが国境をめぐって戦争を始めた。イラク・イラン戦争である。
Through the Iraq-Iran war the UAE advocated keeping the super power rivalries out of the Gulf at almost any cost, calling for a settlement brokered by Arab and Islamic organisations with the support of UN.
イラク・イラン戦争を通じて、アラブ首長国連邦は、国連の援助を受けつつも、アラブとイスラムの組織によって事態を収拾するべく調停に乗り出し、ほとんどあらゆる犠牲を払ってでも、列強を湾岸から排除しようと提唱した。
こうして形成されたのが、アラブ首長国連邦をはじめ、サウジアラビア、クウェート、カタール、バーレーン、オマーンといったペルシャ湾岸諸国から構成される GCC (Gulf Cooperation Council 湾岸協力会議) である。この点、米ソ超大国の対立を契機に発足したEECと似ている。しかし、GCCは、まだ、EUのように共通通貨を発行するほどには、統合されてはいない。
シェイク・ザーイド・ビンスルタン・アールナヒヤーンは、祖父のシェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンとは異なり、武力ではなく、対話を重視した。2004年に死去し、30年以上に及ぶ治世を終えたが、今でも現地の人々から、名君として慕われている。
3. UAEの今後の戦略
原油高のおかげで、アラブ首長国連邦は、未曾有の繁栄を享受している。しかし、ドバイは、石油資源が、アブダビほど豊かではないので、早くから観光や金融などに力を入れ、脱石油化、産業の多角化を進めてきた。1975年には、ドバイ首長国の石油からの収益は、GDPの64%を占めていたが、いまでは、非石油部門がGDPの97%を占めている。これは、非石油部門がGDPの37%にすぎないアブダビ首長国とは対照的である [IBTimes:ドバイ、石油依存脱却の多角化経営のモデルに]。
アブダビ首長国の石油は、現在のペースだと150年は枯渇しないと言われるほど豊富なのだが、アブダビ首長国の人々は決して安心していない。代替エネルギーが主流になって、石油価格は暴落するかもしれないという懸念を持っている。そこで、彼らは、最近、石油以外の燃料が主流になっても、エネルギー利権が握れるようにと、マスダール・イニシャティブと呼ばれる代替エネルギー開発のプログラムを始めた。
プログラムの具体的な内容としては、以下の三つがある。
- 2億5千万ドルの「マスダールクリーン技術基金」が、アブダビの環境に適用可能なクリーンエネルギー、水問題、環境問題の解決策に重点的に投資される。
- 「持続可能な技術と先端的研究プログラム」は、商業化可能な事業との合弁を行う。太陽光発電、海水の淡水化、バイオ燃料に焦点が当てられている。
- 「マスダール・ビジネス・インキュベータ」は、6平方キロメートルのスペシャル・フリー・ゾーンで、最大で1500社までの、駆け出しのベンチャー企業の育成と指導を行い、2009年に稼動する。
アブダビ首長国は、技術の輸入国から輸出国への変貌を図るべく、マスダール・インスティチューションという大学院大学を設置する。MITとの協力の下、MITを模範として作られるとのことであるが、日本の東京工業大学など、世界各国の高水準の大学とも研究のネットワークを形成するとのことである。モハメッド・アールファフィンは、石油で稼いだ金を教育に使えと言っている [Mohammed Al Fahim:From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi, p.188]。代替エネルギーが主流になったり、石油が枯渇しても、国内に人的資源と知的権利があれば、アラブ首長国連邦は、その豊かさを失わずにすむだろう。
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