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数理科学からみたインフルエンザの脅威(最終回)

数理モデルより導かれる合理的な予防策、蔓延抑制策とは(続き)

 

今回の最初の話題は、前回記事(4)で説明しきれなかった三番目の方策、つまり基本再生産数を小さくするために分母を大きくする方法です。そのために、分母である除去率γの意味と、伝染病拡大後の蔓延抑制策について議論し、次に、その格好の具体例として東京都町田市で発生した集団感染について考察してみます。

 

[3] 除去率γを大きくさせる方策

除去率γとは何を表すパラメータだったでしょうか。第1回目の記事(1)では、γと感染力のある感染者数との積γが「感染者の減少速度」に相当するとか「治癒によって免疫を獲得する速度」に相当すると説明しました。あるいは、最悪「死亡する速度」でもよいのです。要するに、未感染者と感染者から構成された集団において、感染者がその感染力を失ってゆく速度なのです。繰り返しになりますが、考察している伝染病伝播の対象集団から「除かれていく速度」に相当します。そしてγは[時間]-1の次元を持ちます。

SIRモデルを表す非線形連立微分方程式(1)の第2式において、感染率βをゼロとしますと、d/d=-γI となって非常に簡単になります。これは、高校物理Ⅱで習う「原子核の崩壊」を記述する微分方程式と同じです。そのとき、γを「原子核の崩壊率」、逆数γ-1を「崩壊する原子核の平均寿命」であると習いますね。先ほどの式がそれと同じですから、伝染病に対しては、γを(治癒、死亡、隔離などによる)「伝染病の減衰率」、逆数γ-1を「伝染病の平均寿命」と解釈できます。「伝染病の平均寿命」が長いと、治癒に長時間かかり、しかも治癒によって免疫を獲得するまでの期間、感染源保有者は周辺にいる他の未感染者に病気を移しまくります。「感染力」が長期間継続するので、伝染病の減衰率は小さくなります。

逆に、治癒や隔離や(最悪)死亡が早々と起きてしまうと、感染源保有者は急激に他の未感染者への病気の感染力を失うことになります。病院では、効果的に薬物を投与することや、場合によっては、感染者を物理的に隔離することによって、人為的に除去率γを大きく(あるいは伝染病の寿命を短く)操作することができます。除去率の増大により、起きてしまった伝染病の拡大を速やかに抑制することが出来るのです。

除去率γの増大が伝染病抑制にどれくらい効果あるかを、シミュレーションによって確認してみました。前回の記事(4)同様に、初期段階で、未感染者199人、感染力のある感染者1人、そして、感染力のない罹患者が0人からなる総勢200人の集団を考えます。この伝染病の感染率βは0.005という値に固定し、除去率γを0.1250.250.500.75と順次増大させていくような仮想的な状況を想定します。すると、こうしたγ値に対応して、閾値ρ(=γ/β)はそれぞれ2550100150と増加します。

図10は、そのような集団における感染者数()の時間推移を示しています。除去率γが0.125[]0.25[]0.5[ピンク]0.75[]と増加するにつれて、最大感染者数も減少しています! 閾値ρが初期未感染者数S(0)に近づくと、やはり伝染病拡大は抑制され、感染者数は少数に留まるのです。

 

 

Fig10.jpg図10.200人の集団での感染者数()の時間推移に対する除去率γ増加の効果

 

これに対応して除去率γの増加は、伝染病終結後に未感染に留まる個体数を激減させずにすむという点でも効果的です(図11参照)。

 

Fig11.jpg 

図11.200人の集団での未感染者数()の時間推移に対する除去率γ増加の効果

 

このように、除去率γを増加させることも、感染者数()を減少させ、より多くの未感染者を未感染のままに留まらせることに有効です。

 

町田市の病院での集団感染について

 

それでは、これまで説明してきたSIRモデルを具体的な事例に対して適用してみましょう。ここで取り上げるのは、2009/1/18から数日にわたり新聞報道された町田の病院で集団感染例です。このような演習課題して実名の挙がっている例を取り上げて大変申し訳ないのですが、卑近な例ですので取り上げてみました。

手順としては、まず、具体的な数を新聞記事から拾い出します。結果は表1のようになります。

 

表1.町田市の病院(総患者数471人、総職員数335人)での感染経緯

日付

患者

職員

累計感染者

イベント

感染者

累計

感染者

累計

1/3

0

0

1

1

1

職員1名が発症

1/5

0

0

2

3

3

職員2名が発症

1/6

4

4

0

3

7

患者を含め集団発生

1/7

不明

不明

不明

不明

不明

都拡大防止指示

1/11

不明

不明

不明

不明

不明

高齢者患者2名死亡

1/13

8

56

不明

不明

不明

都立入検査

1/14

不明

不明

不明

不明

不明

都立入検査

1/16

不明

不明

不明

不明

不明

高齢者患者1名死亡

1/17

40

77

不明

24

101

マスコミ報道

1/18

30

82

4

24

106

新聞報道

1/19

不明

不明

不明

不明

112

都立入検査

1/20

21

不明

3

不明

116

A型香港型と判明

1/21

不明

不明

不明

不明

不明

「ピークは過ぎた」と報道

 

収集した新聞報道に基づき数理モデルへの当て嵌めを行っていて非常に混乱したことには、SIRモデルで要求している統計数字でないものが、報道されているという事実でした。感染者数116名といっても、その全員が、数理モデルが必要とする「感染能力を持つ感染者数」という変数I(t)に該当する訳ではなく、おそらく治癒してしまった人も含めた罹患者の累計値のようです。また、病状を発症し発熱中の人数も掲載されていますが、これは前日からの差分量で、感染能力のある感染者数の総数I(t)を推定するにも情報が欠落しています。

取り掛かりとして、集団の大きさを患者および職員の総数806人とし、最終的な総罹患者数を116人とします。(0) = 805I(0) = 1(0) = 0で、かつ() = 116とすると、() = 690と算出されます。この値を用いて、前々回に掲載した図7を用いて、「罹患率Π」を求めると、Π=1()(0)16908050.143となり、対応する基本再生産数0 = S(0)/ρは1.08となって、閾値はρ=745と算定されます。ところが、これらのパラメタに基づいた数理モデルでは、表1のデータにうまく当て嵌めることが出来ませんでした。

そこで、職員471人のうち91.6%に当たる335人が、また、患者471人のうち88.7%に当たる418人がインフルエンザワクチンの予防接種を受けていたことに着目します。前回記事(4)の通りに予防ワクチン接種により集団サイズNが低減されていると考えて、上記接種率に基づいて感染可能な未感染者数を求めると81人となります。もし、予防ワクチンが感染阻止の薬効を発揮したのであれば、総計116人もの罹患者をもたらすことは理論的にはないのですが、予防ワクチンが100%効果的であるわけもなく、予防接種をうけた集団の中からも概算40人近くの感染者が出たものと推測されます。

さらに、病院が中央病棟、北病棟、南病棟の三つの建物から成っていることも重要です。移動できない入院患者中で、感染者が集中したのが3F(中央、北、南)、4F(南と北)、5F(中央のみ)、7F(北のみ)であること、職員については、1~7Fまでほぼ満遍なく分布していることから、感染可能な集団の大きさは805名もの巨大な数ではなく、各病棟・各病室に隔離された小集団の和(N=139程度と設定)において、ほぼ全員の感染が起きたと見直してみると、報告されている罹患者総数及び患者数をほぼ再現できそうな当て嵌めができました(図12参照)。

 

 

Fig12.jpg

図12.東京・町田市の病院でのインフルエンザ集団感染への数理モデルの当て嵌め

 

図12の当て嵌めでは、集団の大きさを約140程度とし、感染率β、除去率γをそれぞれ0.0054及び0.27としています。除去率の逆数(1/γ=3.7日)は、当該伝染病の寿命と考えられているパラメータであり、39℃前後の発熱を伴う頭痛、筋肉痛、関節痛、全身の倦怠感などの症状が2日程度、解熱後の48h(2日)をもって「終息」とすることと考え合わせると、若干短めな値と云えるでしょう。これは、病院が患者の隔離や病棟閉鎖などにより、インフルエンザの感染力を低下させるべく活動した結果、感染者が感染力を保有して他の未感染者に感染できた期間が短くなったとも解釈できます。図12のカーブの当て嵌め結果から予測すると、症状の発症後、約2週間弱でピークを迎え、それから更に2週間程度で終結に向って減少しつつあると見て取れます。本文書を記載している1/25日現在から、あと1から2日程度で終結するものと推測します。

さて、感染率βは、0.0054 /人・日と計算されました。この値では、1日の間に185人の未感染者の中に1名の感染者がいれば平均して1人は感染することになります。

集団の数がかなり大きい(806)ケースにしては、総罹患者数を116人程度に抑えられたのは、予防接種の効果が大きく、数理的に見れば、かなり感染の伝播に対して抑制したと結論できそうです。が、逆に、それぞれが隔離されていた病棟にいた小集団の140人程度の未感染者集団において、その約80%が感染したとすると、大きな規模の集団感染であったとも推察されます。

職員の感染が発覚した後の初動が若干不十分であったとしても、入院患者の88.7%、職員の91.6%という高い予防ワクチン接種率や、病院側が感染発覚後、病棟閉鎖を早めに行うなど迅速な隔離策によってインフルエンザの感染力の寿命(1/γ)は7割程が短縮され、「エピデミック(爆発的流行)」という事態は回避できたものと思われます。

今回は116人程度の感染者が発生しましたが、逆にワクチン接種や病棟隔離などの適切な対処が無ければ、もっと大勢の感染者が発生し、死亡者もより多かったことが推察されます(なお、この判断はあくまでも上記の数値から見てのものであり、厚生労働省や医学会がどのような判断を下すかは、筆者としては判りかねます)。

皆さんも、適切な数理モデルに基づいて新聞記事を分析すれば、より深く読み込むことが可能となります。

 

    伝染病の数理モデルおよび導出結果の有効性

 

さて、このような数理モデルはどれほど有効なのでしょうか? 疫学の専門家ではない筆者にはその有効性がどれほどのものかコメントできませんが、国立感染症研究所・感染症情報センターのホームページ(http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/index.html)を見ますと、こうした数理モデルに当てはまりそうな伝染病が幾つかありそうです。

見たところ、インフルエンザ、咽頭結膜熱、手足口病、ヘルパンギーナ、無菌性髄膜炎、RSウイルス感染症などは、その時間推移が、ここで解説しているSIRモデルによって得られる曲線(図2)によく類似しています。皆さんも、演習問題を解く要領で、自分が身の危険を感ずる伝染病について数理モデルの当て嵌めを試みては如何でしょうか。

最後に、今回の解説した伝染病についての数理モデルから結論されることを、一般論ではありますがまとめますと、

 

1.     感染能力のある感染者が1名でも発生すれば、それを取り巻く集団が何ら対策を講じなければ、集団サイズ()が大きければ大きいほど、感染は拡大し、個々の伝染病が終息した後であっても、未感染者に留まる総個体数(())は激減します。

 

2.     予防接種を効果的に行うためには、その伝染病に効果が期待できる予防ワクチンを、その集団の80%程度に予め接種させておく必要があります。

 

3.     予防のためには、感染率βを低下させることを念頭に、感染源との物理的接触を断つことが重要です。そのためには、当然のことですが、①人ごみは避け、②外出後は必ずうがい、手洗いを励行し、③空気感染を回避するためマスクを着用しましょう。物理的遮断とは関係ありませんが、④体調管理のため、早寝、早起きを励行して健康増進に勤める、ことも免疫力を高め、ひいてはβを低減するのに有効です。

 

4.     不幸にして、自分あるいは家族が感染してしまった場合には、今度はβではなくγを大きくする努力が重要です。つまり、除去率γを高める工夫です。感染者を他の家族員からなるべく隔離するのです。また、感染者に充分な栄養を摂取させ、病気の治癒速度を増進させることもγを大きくするのに有効です。

 

5.     感染してしまった家族員を治療のため病院へ連れて行く場合は、同様な感染患者が待合室に集中していることが想定されます。待合室では、未感染である自分も感染するリスクが非常に高まります。ですから、感染率βを低減させる努力、例えば、病院へ行く際は、①マスク等の防御策をしっかり着用することと、②待合室から離れて感染源への暴露が集中しないようにする、③帰宅後うがい、手洗いを定期的に行い、ウィルスの侵入を意識的に抑制するなどの自己防衛策を採る必要があります。

 

6.     最後に、今回のインフルエンザ集団感染とは、直接関係ありませんが、新型インフルエンザ、特に現在、ヒトへの感染能力を取得しつつある鳥インフルエンザ患者が見出されたという報道がなされた場合には、仕事も学校も一切合切すべて停止して、自己防衛のために自宅に篭城する、という手段に訴える他はないようです。現時点では、「予防ワクチン」は存在しないのです。従って、感染源との物理的接触を断つことによってβをゼロにする、というのが一番の防衛策となります。除去率γが治癒率どころか文字通りの除去率=死亡率になってしまう可能性が高いからです。日本政府も、「とにかく外に出ない、歩かない、マスクをしなさい」と指導しているではありませんか!!!

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