前回、「疫病の伝染は、なによりもまず、未感染者の数、および感染源保有者との接触率に依存する」という考えに基づき、Kermack & McKendrickが提案した連立微分方程式を紹介しました。その式を再掲しますと、未感染者の集団の人数(S)、感染力のある感染者の集団の人数(I)、および感染力を失った罹患者の集団の人数(R)に対して、
が成り立つというものでした。各変数の頭文字をとって、現在では、「SIRモデル」とも呼ばれています。今回は、この式(1)から導かれる幾つかの帰結について述べていきます。
まず式(1)にはSIの積が右辺にあることから、これは「非線形連立微分方程式」です。とは云え、ここでは式(1)に解があるのか?とか、どのように解くかという数学的演繹の詳細に立ち入ることはやめて、簡単にわかる幾つかの事実と、数値解に基づき直感的に判ることを示します(詳細は前回引用した講義資料に記載されていますし、微分方程式の教科書を参照して下さい)。
[1] 各要素集団の総和は一定で、時間によって変化しません
式(1)の3つの式の左辺同士を全て加え合わせると、右辺の各項が互いに打ち消し合う結果、
[2] 感染の伝播が起こるには、最低1人の感染者がいなくてはなりません
式(1)の第1式で、そもそも感染者が1人もいなければ(I = 0)、病気の伝染という現象そのものが起こりません。
[3] 感染者の数が増大するためには、初期の未感染者数S(0)に条件があります
式(1)の第2式の右辺を、(βS - γ)Iと書くと、どこかの時点tでS(t) = γ/βとなる時には、感染者の増加率(dI/dt)が0になります。
ここで、パラメータγ(除去率)とβ(感染率)の比として、ρ=γ/βを導入して、未感染者の人数の初期値S(0)がρよりも大きいと、感染者Iの増加率(dI/dt)は正となって感染者が増加することになります。他方、初期値S(0)がρよりも小さいと、すでに存在していた感染者の数I(0)から一方的に減少することになります。
このことをグラフで示しているのが図1です。
図1.200(=N)人の集団における初期未感染者数S(0)の違いによるその後の推移
図1の見方ですが、横軸に未感染者数Sを、縦軸に感染者数Iをとったもので、感染率βと除去率γをそれぞれ0.001、0.1としています。ですので、上で述べた比γ/β(=ρ)は値として0.1/0.001=100であり、図1には赤の縦線として書き込まれています。
話を簡単にするため、時刻t= 0では、感染力を失った罹患者Rは0人とします(R(0) = 0)。[1]に記載したように、各集団の和(N=S+I+R)は時間よらず一定のままですから、初期条件(t=0のときのS(0)およびI(0)の値)の組み合わせは、全てS+I = N(=200)という直線上にあります。これが、図1に書かれた斜めの直線の意味です。
図中で、例えば、紫の線(199, 1, 0)とあるのは、初期条件としてS(0) = 199、I(0) = 1、R(0) = 0に設定して計算したことを意味します。
もう少し具体的に書くと、例えば、40人学級5クラスの学校を想定して、そこの生徒1人がインフルエンザに感染していて、残る199人は未感染という設定です。
図1には、他に、初期段階で感染者50人の場合 (150, 50, 0)[ピンク]、感染者100人(100, 100, 0)[緑]、及び感染者150人(50, 150, 0)[青]の結果が記載されています。感染者が50人(各クラス10人!)もいればとっくに学級閉鎖で生徒は来ないかも知れませんが・・・
さて、赤の直線で区切られた右側の領域の初期条件より出発した曲線群(紫やピンク)は一旦増加した後I= 0へ向かって減少するのに対して、左側の初期条件から出発した曲線群(緑や青)は全てI=0 へと向かって単調に減少します。
感染者が1人や50人程度では、まだまだ未感染者に病気を移す余地がある、というわけですね。でも、感染者が100人を超えると、さすがに感染させうる未感染者も100人より少なくなりますので、感染は拡大しないのです。
そこで、幾つか重要な結論が得られます。
[3'] 初期段階での未感染者数S(0)がρより大きいと、1人の感染者からでも伝染病は拡大し、S(0)がρより小さいと、初期感染者数I(0)を超えて感染が拡大することはなく病気の流行は時間の経過と共に急速に終結します
このような意味で、除去率γと感染率βの比で与えられるρのことを、その伝染病の「閾値」と呼びます。
そして、最も重要な結論として、
[4] どんな初期条件から出発しても、最終的にはI = 0となるので伝染病は終結します
この事実をわかり易くグラフに示したのが、図2です。
図2.200(=N)人の集団での初期感染者数I(0)の違いによるその後の感染者増減の推移
図2は、横軸に経過時間、縦軸に感染者の数Iを取ったもので、N=200の集団で初期感染者数の違いによるその後の時間経過による感染者数の増減を示したものです。
初期の未感染者数S(0)が閾値ρよりも小さい青や緑の曲線は、時間の経過と共に単調に減少するのに対して、閾値ρよりも大きなピンクと紫の曲線は、時間が経過すると、一旦増加して後、減少に転ずることが判ります。つまり、S(0)>ρの場合には、感染拡大が起こるのです。
未感染者数はどのように時間と共に推移するでしょうか?それを示したのが図3です。
図3.200(=N)人の集団での初期感染者数I(0)の違いによるその後の未感染者数Sの推移
横軸に経過時間を、縦軸に未感染者数Sを示しています。当たり前の結果ですが、
[5] 伝染病の初期段階での感染者数が多いほど、未感染のままに留まれる人数は減少します
すでに、沢山のことを書いてしまいましたので、一旦まとめます。
病気の伝染において、「未感染者の数と感染者の物理的接触率」に着目したSIRモデルによれば、
● 未感染者の集団中に最低1人の「感染力のある感染者」がいれば、伝染病が発生します。
● 感染初期段階での未感染者数が、除去率γと感染率βの比(=γ/β)で与えられる「閾値」を超えると感染の拡大が起こります。
● 伝染病は最終的には終結します。
● 初期段階での感染者が多いほど、その集団の中で未感染のままに留まれる人数は少なくなります。



