ハードウェアとしての肉体
人の肉体はハードウェアです。今、この文章をパソコンや携帯電話で見ていると思います。それらの機械が人間の肉体です。携帯電話やパソコンを制御し支配しているのはソフトウェアです。良いソフトウェア(精神)はこの構造を理解していますが、模倣子にはこの機能が備わっていません。地球という巨大な実験場で生命が誕生した時から、多くの情報データが生まれました。それらが貯蔵されたのが遺伝子です。パソコンや携帯電話に同じデータが入っていると、メモリーを圧迫するはずです。デジタル写真やデジタル動画は簡単にコピーすることが出来るので何枚も保有する必要がありません。故に、実験場(自然環境)が限界に達した時、滅亡のスイッチが入ります。人間の遺伝子にはテロメアという回数券があります。天が決めた細胞分裂の制限であり、肉体の限界点です。人間を急速に進化させるために、その人口が増加しました。そして、世界中の離れた場所で誕生した新しい人類もは情報ネットワークでコミュニケーションを取る事ができるようになりました。だからプログラマーやアーキテクチャーにとっては古いハードウェアも古いソフトウェアも処分し、整理整頓をすることになります。
データの集合としての遺伝子

出典:アダムの呪い(3)
蜂や蟻は子孫を残さず死ぬ働き蟻や働き蜂がいます。彼女達は子供を作っても遺伝情報は50%しか残せませんが、女王蜂(情報蟻)が子供を作れば75%の遺伝情報を残す事が出来ます。新しいタイプの人間もこれに少しだけ似ています。情報域に文化や論理式を残す事により、必要に応じてそれぞれの肉体(ハードウェア)にダウンロードして動かします。巨大なプログラムの中で、幾つかのハードウェアを動かすと想像するのが宜しいでしょうか。ここに利己心の末路があります。
ケチは物質(昔は食糧、今はマネー)を固体としての人間に集めます。固体の維持においては有効に見えますが餓死するような状態以外でこれを行えば全体の遺伝子システムや複成子(模倣子)を認識する能力がないことが証明されてしまいます。スタンドアローンのコンピュータはどんなにスペックが高くてもその能力は小さいものです。個別のネットワーク力が高ければ、必要に応じて必要な写真、動画、方程式という情報(智慧)を得る事ができる方が圧倒的に有利です。時として、人は自己の生命を犠牲にしなければならない時があります。然しながら、そうでない時は常に行き続ける義務があります。蜂や蟻にもサムライ蟻がいるように敵を倒すという行動は、それに特化したハードウェアに依存します。臆病や利己心というものが己の肉体に対する保存の本能なら、智慧と勇気というのが自己の精神に対する保存の本能です。古代の英雄達や偉人達はその文化や精神を残しました。人類の祖は少数です。彼らの遺伝子は模倣子となり多様化しながら数を増しました。もうすぐ発生する地球の気候変動は人口崩壊を引き起こすでしょう。例え一時的にハードウェアの数が減少しても、そのデータ・バンクが無事であるならばすぐに人類は復活します。そして、新しく統合整理された人類は非常に美しい社会を作ります。彼らは一人ではなく、寂しくも無く、利己的でもありません。それは情報エントロピーが非常に低い状態を維持されるからです。
昔、釈迦は子供が死んで頭が狂った母親を見ました。彼は母親に子供を生き返らせてあげる。その為に誰も死んだ事がない家を探しなさいと言いました。村中を探しても彼女はそれを見つける事が出来なかったそうです。そして、彼女は人は必ず死ぬという事を知りました。そして、正常に戻りました。生きている子供を愛せるなら死んでいる子供も愛せることを方便という手法で知らせたかったのです。
今の日本にどんな情報を送っても権力者は己の物欲を満たす為に恣意的にそれを使うことしか出来ません。彼らは解離性障害を引き起こした病人なのでしょう。自分が何者であるのか、何処から来て、何処に行くのかも、忘れてしまった人々です。彼らは私の親ではありませんが、ある程度の努力はします。智慧というのは行動できて完成します。行動できないという事は智慧が足りないということです。同じデータ(情報、写真や動画や情報遺伝子)はプログラマーやアーキテクチャーにとっては無価値です。私も努力しますので日本本土にいる人々も死なないように注意しながら協力してください。彼らの短い天寿を可能ならば全うさせてあげたいのです。
何にもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている by ガイウス・ユリウス・カエサル




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